ジャイアント馬場 日本プロレス時代 スランプ編

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  • Опубликовано: 7 сен 2024
  • • 山本小鉄と星野勘太郎
    • 荒武者アントニオ猪木
    • 心優しきジンキニスキー

Комментарии • 7

  • @user-gz7sw9vm3r
    @user-gz7sw9vm3r 3 месяца назад +5

    昔お世話になっていた、主治医の先生が、プロレスファンで、おっしゃっていたのですが、馬場サンもアンドレサンも、いわゆる、巨人病で、普通の方なら、30代から、身体の維持が難しくなって来て、40代になったら、つえをついて、やっと歩き、50代でプロレスをやるなと、考えられないそうです。もちろん、その先生は、一般論をおっしゃっただけで、馬場サンを診た事はないそうです。馬場サンが亡くなってからおっしゃっていたのですが、陰で、節制して、トレーニングしていた思うよと。あくまで、一般論としてですが。

    • @araitomoaki571
      @araitomoaki571 3 месяца назад +4

      馬場さんは人前で練習を観せ、他者に強さを見せつける人ではないと聞きました。 プロモーター業でも多忙の中、そうとう陰で努力され、巨人症による身体の衰えをカバーしていたと思います。 マンションB1には専用のトレーニング・ルームも作り、元子さんが🍵を持っていくと、「今、トレーニングしているのに、なんで🍵なんか持ってくるんだ。気がきかないなぁ」と怒っていたそうですから・・・。

  • @user-ru5gg5kr3w
    @user-ru5gg5kr3w 3 месяца назад +5

    猪木のワールド・リーグ初優勝は2ヶ月後のNET放映開始のNETへのご褒美。NETのプッシュで始まったNWAタッグ・リーグ戦、馬場はNETで放映出来ないのだから、馬場・猪木組は無理。😮

  • @araitomoaki571
    @araitomoaki571 3 месяца назад +6

    Gスピリッツ誌で、長年馬場選手を観てきたNTV・原元プロデューサーは、日本プロレス時代の馬場選手を大絶賛されていました。「仮に日プロが続いていても、しばらくが馬場時代が続いていた」とも仰っていました。馬場VSドリーも、「あのコンディションの中で、馬場選手だからこそ、あれだけの試合ができた」と最大級の評価でした!

  • @bruuzar
    @bruuzar 3 месяца назад +6

    昭和45年のドリー戦で、時間切れのブックを遂行できず、両者リングアウトにしてくれとドリーに囁き、脱水症状で伸びた時から、馬場の終わりが始まったのである。
    練習せず麻雀ばかりして痩せていった馬場にとってプロレスとは美味しい商売だったのでしょうね。

    • @user-bx1od6oq6r
      @user-bx1od6oq6r 3 месяца назад +7

      その説は最近、日本テレビの原プロデューサーから否定されている。実はその試合で脱水でダウン寸前になったのは馬場ではなく、レフリーの沖だった。馬場は沖をカバーするために緊急措置で両者リングアウトに持っていったのが真相だそうだ。そもそも真夏に冷房のない体育館で試合する異常性を考えよう

    • @bruuzar
      @bruuzar 3 месяца назад +2

      @@user-bx1od6oq6r 様
      そうだったのですね。
      確かに難波の体育館は暑かったです。
      私は子供の頃、オヤジとシンの腕折試合を観ました。
      6月でしたが、頭から湯気でるかと思うほど蒸し暑かったです。♨️